のんびり読書記録

自分がこれまで読んだ漫画、小説、ビジネス書等、マイペースにのんびりと書いていきます。

【書評】22年目の告白

 どうも。takaです。今回はこちら、浜口倫太郎氏の「22年目の告白-私が殺人犯です-」についての感想です。

 


22年目の告白-私が殺人犯です- (講談社文庫)

本の概要

 2017年に公開された藤原竜也伊藤英明が出演した映画、「22年目の告白」を小説版にした作品です。

 1995年、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起こる中、1月4日から4月27日にかけて東京で5件の絞殺事件が起こりました。しかも、その手口はかなり特殊で、二人のうち一人をロープで縛り、もう一人をロープで縛られた人の前で絞殺するというものでした。しかも夫婦など、自分の分身とも言える存在である人をです。

 そしてその犯人は捕まらないまま、この事件は2010年4月28日の0時をもって時効を迎えました。警察はもう犯人を見つけても逮捕、起訴が出来なくなってしまいました。

 しかし、事件から22年後の2017年、突如曾根崎雅人という謎の美形男性が、突如メディアの前に現れ、自分がこの事件の犯人であると名乗り出ました。そして曾根崎は、この事件の告白本を書き、それを宣伝して売ります。

 この状況に国民、特に女性は曾根崎の美貌に見惚れたのか、「ソネ様」と呼ぶようになり、告白本を購入していきます。中には親にソネ様の本が読みたいと言ったら喜んでお金をくれるなんていう状況にもなりました。その影響で、告白本はものすごい勢いで売れていきます。

 もちろん、中にはそんなこと許されないなんて考える人もいて、曾根崎に対して罵る人もいました。

 そんな中、当時この事件の捜査に当たっていた刑事、牧村航は、メディアに現れたことによって犯人が分かり、時効が過ぎても大切な人が自分の目の前で殺された光景が脳裏にちらつき、今もなおその傷が痛み、無念を晴らすために復讐に乗り出す被害者遺族から犯罪を犯した者を守るという何ともやりたくないことをやることになります。

 牧村は当時、犯人をあと一歩まで追い詰めたのですが、逃げられてしまいます。そしてその時肩を撃たれた恨みから、犯人は牧村の自宅に罠を仕掛けます。それを知った牧村は自宅に急行するのですが、一緒に捜査に当たっていた先輩の刑事が罠にかかり、牧村の目の前で息絶えてしまいました。なので牧村自身も犯人に対する憎しみは強いです。

法律か道徳か

  作中で曾根崎は、「殺人を犯した人であっても人権はある。だから本を出しても法的には問題無い」という様子で、周りに叩かれたり、遺族に復讐される可能性があるにも関わらずメディアに現れ、告白本のサイン会までやりました。

 法律上問題無いと言われれば、確かにそうなのだと思うのですが、道徳的には良くないことです。なのでこの本を読んでいる時は自分でもこれは良いのか悪いのか分からなくなりました。イケメンだから許されているだけなのか?叩く人はなぜ叩くのか?それはコイツだけが刑罰を受けないなんてズルいなんていう思考が働いているのではないか?では刑罰を受けたらこの行為は許されるのか?いや、許されないと思う。殺人はもう取返しがつかないから罪の償いようが無いなんていうことを考え、頭が混乱しました。支持している人が作中にいるからなんだと思いますけど。

 この作品は、犯罪を犯した人について考えさせられる本だと思います。殺人を犯したとしても、法律が起訴出来ないと定めたら手を出すことも出来ない。だから世間もそれを受け入れるしかない。何とも複雑な気持ちですね。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。