のんびり読書記録

自分がこれまで読んだ漫画、小説、ビジネス書等、マイペースにのんびりと書いていきます。

1994年の国民的行事となった「10.8決戦」

 こんばんは。takaです。今日は昼休みに外に出たら暖かくて、フラフラと散歩したのですが、気持ち良かったです。そして、今日は久々に早く帰れて助かりました。ここの所帰りが遅くて平日はブログの更新もなかなか出来ずにいたので・・・。


10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦 (文春文庫)

本の内容

 1994年の10月8日、セリーグのペナントレースで、巨人対中日の最終戦。勝った方が優勝という試合状況、当時巨人の監督だった長嶋茂雄氏、4番を打っていた落合博満氏、当時20歳の若手であった松井秀喜氏、中日の監督を務めていた高木守道氏等、この試合に関わった監督、選手達の前日の様子が書かれています。

この決戦に至るまでの背景

 このシーズン、巨人は序盤から首位を独走し、優勝確実かと思われていましたが、8月の後半から失速。それに対して、中日は、高木監督の解任騒動をきっかけに9月から勢いがつき始め、怒涛の追い上げを見せます。そして天候等色々なものが重なって10月8日、2チームはゲーム差なしで並びます。

ドラマティックな試合

 私は当時3歳くらいで、野球も知らなかったから、このことは知りませんでした。ただ、この本を見ていると、興奮してきて、この試合に出た人達はものすごいドラマティックな場面に立ち会っていてすごいなと思いました。当時オリックスに在籍していたイチロー選手も神戸から来て観に来ていたとのことなので、この試合は特別なんだと感じさせます。

落合選手のすごさが出た

 この試合は、2回表に落合選手のホームランで巨人が先制。一度は追いつかれるも、3回に再び落合選手がタイムリーを放って再び勝ち越し、桑田投手等を投入して最終的に6対3で巨人が勝ちました。

 落合選手は、3回裏の守備で怪我をして途中交代するのですが、何が何でも出ようとしていたそうです。落合選手は「オレ流」を貫いていますが、その分自分がやるべきことは何か、そしてそれをしっかりやろうとする責任感もものすごく強い人であると分かります。

 落合選手は当時41歳になる年で、中日の最終年でも打率2割8分5厘、17本塁打、65打点という成績で、衰えも囁かれていました。この年のトータルの成績も打率2割8分0厘、15本塁打、68打点と、ロッテ、中日時代と比べると落ちています。しかし、この大事な局面でホームランとタイムリーを放ち、勝利に貢献しました。

 4番というのはただトータルの成績が良ければ良いというものでは無く、本塁打を打つにしても捨て試合で打つのか、一発逆転の場面で打つのかで価値が違います。落合選手は確かに今シーズンのトータルの成績で見ると4番としては物足りなさを感じる人もいるかもしれませんが、4番に求められているものをしっかりこなしました。

 それに対して、この試合、中日で4番を打っていた大豊泰昭選手は、初回に併殺打を打ってしまい、チャンスを潰してしまいました。このシーズンのトータルの成績は大豊選手の方が上回っていましたが、4番の働きが試合を決めました。

 落合選手は入団会見で「長嶋監督を胴上げするために来た」と言い、それを本当に実行した。やっぱりすごい人だと思いました。

松井選手の原点

 当時プロ2年目で20歳の若手だった松井選手は、緊張はしていたけど、自分はまだプロに入ったばかりでこの試合がどれほど大事なのかまだ分かっておらず、だからこそ平常心でプレー出来たと語っています。

 しかし、この試合に臨む落合選手や原辰徳選手の雰囲気を見たことが、プロで経験を積み重ねた後で大舞台に臨む見本となり、後にワールドシリーズでMVPを獲る活躍を見せるきっかけにもなったのかなと思いました。松井選手も、この試合が印象に残った試合として語っているので。

 

 今回のお話は以上です。もしよろしければ他の記事もご閲覧お願い致します。

 最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。